須佐神社宮司 須佐 建央 様

私は医者の家に生まれ、現在は出雲駅南でクリニックを開院し、10 年目を迎えております。
本日は、須佐神社の宮司として、また今年が「遷宮」の年にあたることから、この「遷宮」についてお話しできればと思っております。
まずは「須佐之男命(スサノオノミコト)」について触れたいと思います。その名にはさまざまな表記があり、古事記では「素戔嗚尊」、また「須佐之男命」とも記されます。これは、古代には漢字が当て字として使われており、書物によって表記が異なるためです。名前の「スサ」には「荒ぶる」「猛々しい」といった意味が込められているとされています。
スサノオは、父である伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉の国から戻り、禊を行った際に生まれた三柱の神のひとりです。左目から天照大神(アマテラスオオミカミ)、右目から月読命(ツクヨミノミコト)、そして鼻から生まれたのがスサノオです。その後の神話では、スサノオは泣きわめいて母を慕い、父に追放されます。そして姉である天照大神に別れの挨拶をするため天岩戸を訪れた際、さまざまな乱暴を働き、ついには地上に追放されます。出雲に降り立ったスサノオは、有名な「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治」を行います。八つの頭と尾を持つ大蛇に娘を食べられてしまう老夫婦を助けるため、酒を用いて大蛇を酔わせ、見事退治しました。その際、大蛇の尾から「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ/草薙剣)」が現れ、これがのちに三種の神器のひとつとなります。この神話は単なる物語ではなく、出雲の治水や製鉄の歴史を象徴しているとも考えられています。
次に、須佐神社についてご紹介します。当社は佐田町にあり、出雲大社と並ぶ「大宮」として古くから崇敬を集めてきました。建築様式は出雲地方特有の「大社造」で、県の指定文化財です。記録によれば、奈良時代以前から存在していたことが確かめられています。境内には樹齢1200 年とされる「大杉さん」がそびえ立っています。また、鎌倉時代の太刀や室町時代のお面など、文化財も数多く伝わっております。春の例大祭や夏祭りの「切明神事」、節分の豆まきなど、地域に根差した行事も毎年盛大に行われています。
そして、本日の本題である「遷宮」についてです。遷宮とは、本殿の修繕や建て替えの際に御神体を仮の社殿に移し、工事完了後に再び本殿にお戻しする一連の儀式を指します。当社の本殿は、天文24 年(1555 年)に造営されたものと伝わります。戦国時代に建てられた建物であり、現在まで幾度も遷宮を繰り返しながら守られてきました。今回の遷宮も、老朽化した屋根や社殿を修繕するためのものです。工事は令和7 年11 月に完了予定で、その間、仮殿への御神体の遷座や修復が進められています。10 月には見学会も予定されており、普段見ることのできない屋根の工事の様子を間近でご覧いただけます。
最後になりますが、今回の遷宮は地域の皆さま、そして広くご崇敬いただく方々のお力添えがなければ成し得ません。ぜひご関心をお持ちいただき、ご参拝やご支援を賜れますと幸いです。本日はご清聴ありがとうございました。
